三藩紀事本末王師の南征(王師南征)

要約

順治四年三月、孔有徳ら三王が湖南に下ると何騰蛟は衡州に退いた。五月、大軍が衡州に至ると郝永忠は敗走、黄朝宣らは捕えられ、騰蛟は永州へ退いた。八月、武岡が破れて常徳・宝慶も失われ、劉承胤は降り、王は象州に走った。湖南が平定されると騰蛟は桂林に入り、式耜の督する焦璉が陽朔・平楽、陳邦傅が潯州、合兵して梧州を回復した。

五年二月、大軍が粤西に入ると永忠は興安で潰え、桂林で掠奪した。三月、大軍は桂林の北門に迫ったが、金声桓の叛を聞いて楚に退いた。五月、騰蛟は全州を回復した。六月、李成棟が粤東で叛して帰順し恵国公に封じられ、十月、贛州を犯して退いた。

六年正月、大軍は南昌を破り、烏金王は湘潭で騰蛟を捕えた。二月、成棟は信豊で敗死し杜永和が代わり、衡州・永州も失われ、十二月には南雄も守れなくなった。

七年正月、韶州が陥ちて王は梧州に奔った。二月、大軍は広州を囲み、徴調された陳邦傅は進まず、十ヶ月下らず、范承恩の内応で十二月二日に破れ、永和は瓊州に奔った。五日、桂林も破れて王は南寧に奔った。

八年、大軍は肇慶を取った。厳起恒殺害を憤った李元胤は欽州で捕えられ弟建捷と斬られた。九月、陳邦傅が叛降すると王は広南に奔り、秦王に封じられた可望が九年二月に王を安隆に遷した。大軍は瓊州も取り、永和は降った。

年表

順治四年から九年まで、清軍が孔有德・耿仲明・尚可喜らを率いて湖南から広西・広東へ進み、南明の永明王(永暦帝)政権を追い詰めていく経過を年ごとに記す。何騰蛟・堵胤錫・瞿式耜らの抵抗、金声桓の江西挙兵と李成棟の広東帰順による一時の盛り返し、そして李成棟の信豊敗死、広州十ヶ月の攻囲と陥落、桂林の陥落を経て、王は南寧・広南へと落ち延び、孫可望に迎えられて安隆に遷された。

年表(6件)

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