十七史百將傳卷八 齊斛律光 斛律光(字は明月)

要約

斛律光は字を明月、金の子。騎射に巧みで並ぶ雁を二矢で落とした。十七歳の西征で莫孝暉を射当てて捕らえ都督を授けられた。洹橋の狩りで雕を射落とし邢子高が射雕手と嘆じ落雕都督と呼ばれた。齊の禅譲後、鉅鹿郡公に進んだ。

尉遲迥らが十萬で洛陽を攻めると五萬の騎で邙山に破り自ら王雄を射殺した。關隴を呑む志が声色に堕したのを憂えた。周が洛陽を囲むと歩騎三萬で潰し右丞相を加えられ、平隴など十三鎮戍を築き、韋孝寬らを汾水で破り宜陽で四戍を取った。兵を解散せよという敕には、功ある者が慰労を受けぬとして表を奉り紫陌で使者を待ち、帝は嫌いながら慰労させて解散させ左丞相に拝した。

祖珽が朝堂で馬のまま前を通り內省でも傲慢で怒った。褚士達の夢の詩から斛律の字を解いた祖珽は、夢の人が父の姿と聞いて懼れた。穆提婆も娘の婚を断られ賜田を諫められ怨んだ。

周の韋孝寬は光を懼れ、百升飛んで天に上り明月長安を照らすという謠言を鄴に流させ、祖珽も句を続け子どもに歌わせた。令萱と祖珽は謠言を帝に啓して顏元に不軌を告げさせ、封士遜も軍を帝京に迫らせたと言い、帝はついに殺した。

匈奴の卜法で吉凶を外さず、軍営の定まらぬうちは幕舎に入らず士卒の先頭に立った。罪ある者は杖で背を打つだけで人々は争って死のうとした。罪も明らかでないまま滅ぼされ朝野は惜しんだ。周の武帝はその死を聞いて大赦し、鄴に入ってこの人が生きていたら来られたかと言った。

孫子はいう、天とは陰陽・寒暑・時の制である、兵卒を愛子のように見る、輔けに隙あれば国は弱い、と。光が匈奴の卜法で吉凶を外さず、軍営の定まらぬうちは幕舎に入らず、誅された後に周の武帝が鄴に至れたのが、これである。

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