十七史百將傳卷一 秦白起 白起
要約
白起は郿の人で、兵を用いることに巧みであった。秦の昭王に仕え、韓・魏を伊闕に攻めて斬首二十四万、魏の六十一の城を取り、楚の郢を抜いて武安君とされ、華陽で斬首十三万、韓の五城で斬首五万であった。
韓の野王が降って上黨への道が絶たれると、守の馮亭は上黨を趙に帰属させ、趙は馮亭を封じた。
秦は王齕に上黨を取らせ、趙は長平で廉頗を将とした。廉頗が壁を堅くして出ないので、秦の應侯が千金をばらまいて反間を行わせ、趙王は趙括を将に代えた。秦はひそかに白起を上将軍とした。
趙括が兵を出すと秦軍は偽って敗走し、奇兵が後を絶って糧道を断った。秦王は河内の十五歳以上を長平に赴かせ、趙の兵卒は四十六日食を得られず殺し合って食らい、趙括は自ら戦って射殺された。白起は、趙の兵卒は変わりやすく乱をなすとして、降った四十万人を詐って坑にした。斬首と捕虜は前後四十五万人であった。
韓と趙は蘇代を遣り、秦の應侯に、趙が亡べば白起は三公となる、この機に割地を取るがよいと説かせた。應侯は和を請い、王は韓と趙の地を割いて和し、白起と應侯とに隙が生じた。
秦が王陵に邯鄲を攻めさせて五校を失うと、白起は、諸侯の救援が日ごとに至り、秦の兵卒も半ばを過ぎて死んで国内は空だ、趙は内で応じ諸侯は外から攻めると言って、秦王の命にも應侯の請いにも従わなかった。王齕が代わって八、九か月囲んでも抜けず、楚と魏の兵が数十万で攻めた。白起が、秦は臣の計を聴かなかったと言うと、秦王は怒り、官を免じて士伍とした。
諸侯の攻めが急となり、秦王は白起を咸陽から送り出し、杜郵に至ったとき、なおうらみに服していないとして剣を賜って自裁させた。白起は、長平で降った趙の兵卒数十万人を詐って坑にした、これで死ぬに十分だと言って自殺し、秦の人は憐れんで祭った。
孫子は言う、利をもってこれを動かす、と。白起は偽って北げて趙軍を誘い出し、奇兵をもってこれを襲った。
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