十七史百將傳卷一 秦王翦 王翦
要約
王翦は頻陽の人で兵事を好んだ。秦の始皇のもとで燕を攻めて薊を平定し、子の王賁は荊を破り、還って魏を撃つと魏王は降った。
始皇が荊を取るのに要る人数を問うと、李信は二十万、王翦は六十万でなければならぬと言った。始皇は王翦を老いて臆病だとして李信に二十万を将いさせ、王翦は病と称して頻陽に帰った。李信らは初め荊軍を破ったが、荊の人は三日三晩付き従ってその軍を破った。
始皇は自ら頻陽に行って詫び、王翦は六十万でなければならぬと言って将となった。よい田地・邸宅を多く願い出たのは、人を信じぬ秦王に甲士を委ねられた以上、立場を固めねば疑われるからだと言った。
荊は国中の兵を挙げて拒んだが、王翦は壁を堅くして守り、士を休ませ飲食をよくして慰撫し、石投げと跳躍の競いをしていると聞いて士卒は用いうると言った。荊軍が東へ向かうと追って大いに破り、蘄の南で項燕を殺し、一年余りで荊王の負芻を捕虜として荊を郡県とし、始皇は天下を併せた。
秦の二世のとき陳勝が反くと、秦は王翦の孫の王離に趙王と張耳を鉅鹿で囲ませた。客は三代の将は必ず敗れると言い、ほどなく項羽が趙を救って王離を捕虜にした。
孫子は言う、衆寡の用を識る者は勝つ、また謹んで養いて労するなかれ、と。王翦は六十万人を請い、壁を堅くし士を休ませてのち用いた。
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