十七史百將傳卷五 後漢朱雋 朱雋(字公偉)

要約

朱雋は字を公偉といい、會稽郡上虞の人である。太守の尹端が棄市に当たると、京師で吏に賄して州の奏文を改めさせ、尹端は労役ですんだが、雋は何も言わなかった。

交阯の賊梁龍らが反くと、雋は交阯刺史として兵五千で入り、使者に虚実を窺わせ、七郡の兵と迫り梁龍を斬り、一月で平定し都定侯に封ぜられた。

黃巾が起こると右中郎將として皇甫嵩と潁川・汝南・陳國の賊を破り、西鄉侯に封ぜられた。

南陽の黃巾は張曼成が宛に屯し、太守の秦頡が殺すと、賊は趙洪を帥に宛城に拠った。雋は抜けず召還を奏されたが、軍に臨んで将を易えるのは忌むとの張溫の上疏でやみ、趙洪を斬った。

韓忠がまた宛に拠ると、雋は西南を攻めさせ、賊がそちらへ向かうと精兵五千で東北を衝き城に入った。韓忠の降伏は、許せば逆らう心を開かせるとして許さず、攻めても勝てぬので、囲みを解けば必ず自ら出ると見て撤し、出たところを破って降らせた。秦頡が韓忠を殺すと残衆は孫夏を帥としたが、精山まで追い破った。

翌春、右車騎將軍・錢塘侯となり、初平中に病で卒した。

孫子はいう、将有能にして君主が掣肘せねば勝つ、よく攻める者には敵は守り所を知らず、囲む軍は必ず逃げ口を空ける、と。雋が猶予を得て趙洪を破り、西南を攻めて東北を衝き、囲みを解いて韓忠を降らせたのが、これである。

年表

後漢の将、朱雋。字は公偉、會稽郡上虞の人。郡職から身を起こし、恩を受けた太守尹端のためにひそかに京師で奏文を改めさせ、その功を終生語らなかった。交阯刺史として梁龍らの乱を一月で平定し、都定侯に封じられた。黃巾の乱では右中郎將として皇甫嵩とともに潁川・汝南・陳國の賊を破り、次いで南陽の宛城を攻めて趙洪・韓忠・孫夏を相次いで撃ち破った。囲みをわざと解いて韓忠を城外に誘い出すなど用兵の機微に長け、のち右車騎將軍・錢塘侯となり、初平年間に病で卒した。

年表(1件)
  • 光和元年178年交阯刺史となり、梁龍ら一万余人の乱を一月で平定して都定侯に封じられる

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