十七史百將傳卷七 陳吳明徹 吳明徹(字は通昭)

要約

吳明徹は字を通昭、秦郡の人。幼く父を亡くし至孝で、十四歳で墓所の整わぬを痛み耕作した。旱魃で苗が枯れると田で号泣して訴え、数日で蘇り収穫は埋葬に足りた。伊氏の墓相の言う通り末子は貴くなった。侯景が寇すると粟麦三千余斛を隣近所に分け盗賊は避けて通った。

陳の武帝が京口で交わりを結ぼうとし赴くと階を降りて迎えた。周弘正に天文遁甲を学び禅譲後に安南將軍を授けられた。文帝は江州刺史として周迪を討たせたが、剛直で統內和せず頊に代えられた。

宣帝の初め北征を願い十余萬を統べ、壽陽で王琳を夜襲し潰した。淝水を堰き城に灌ぐと城中は湿気に苦しみ死者が出た。齊の皮景和が数十萬で来て三十里手前に止まると、敵が自ら鋒先を挫くと言って四面から攻め、一鼓で王琳らを捕らえ景和は逃げた。車騎大將軍・豫州刺史として策書を拝受した。

のち北へ侵攻し呂梁で梁士彥を破り清水を堰いた。周の王軌が淮口で船路を断つと、裴子烈の言に従い騎兵を先に帰らせ堰を切って退いた。清口で舟艦が渡れず諸軍は潰えて捕らえられ、周は懷德郡公に封じたが憂病で卒した。

孫子はいう、上下欲を同じくすれば勝つ、その不意を突く、兵の情は速きを主とする、と。明徹が統內和せずして代えられ、夜に王琳を攻め、敵の進まぬに乗じ一鼓で捕らえたのが、これである。

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