三藩紀事本末李成棟、粤東を平定する(李成棟平粵東)

要約

順治三年丙戌十二月、閩平定後、佟養甲と李成棟は恵・潮を下し、密かに広州を襲った。先に十一月、唐王の弟聿𨮁が広州で蘇観生らに監国に奉じられ、紹武と改元していた。肇慶で自立した永明王が倫序を説かせると、観生は使者を殺し西へ向かった。林佳鼎は林察が仕向けた四姓の盗の偽降に欺かれ、三山口で全軍と沈んだ。

成棟は恵・潮の符印で平安を報じ、十五日、広州軍の装束を真似た前軍を城下に至らせた。観生は海上の盗と思い備えず、東門を破られ城は陥ちた。聿𨮁は縊れ、二十四王も難に遭い、観生も自ら縊れ、梁鍙は屍を献じて降った。

二十三日、成棟は別軍を遣わして南雄・韶州を平定させ、自らは肇慶を下した。四年丁亥正月、王は梧州から平楽へ走り、成棟は肇慶に入って楊大福・張月に高・雷・廉を平定させ、自ら梧州へ趨き二十九日に入城すると曹燁は降り、王は桂林へ走った。成棟は杜永和に丁魁楚を藤江で襲殺させ、四月瓊州を平定した。廉州推官張孝起は興復を謀って敗れ、のち成棟が叛くと廉州巡撫に抜擢されたが、成棟の敗後に廉州は失われ、孝起も死んだ。

王は全州へ奔り、瞿式耜が桂林を守った。陳邦彦が余龍に広州を襲わせると、養甲は成棟を召し返し、桂林の囲みも解けた。邦彦・子壮・霍師連・張家玉の挙兵で粤東は乱れたが、皆敗れ粤は再び平定された。

年表

順治三年末から四年にかけて、清の巡撫佟養甲と総兵李成棟が閩から南下して広東全域を平定する経過を記す。広州では蘇観生が唐王の弟聿𨮁を奉じて紹武と改元し、肇慶の永明王と正統を争って内訌に陥ったところを成棟に急襲され、聿𨮁も観生も死ぬ。成棟は続いて肇慶・梧州・高雷廉・瓊州を取り、永明王は全州から武岡へ逃れる。陳邦彦らの挙兵で一時桂林の囲みが解けるが、いずれも敗れて粤東は再び平定される。

年表(2件)

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