清史紀事本末文字の獄(文字之獄)

要約

康熙二年夏五月、湖州の民荘廷鑨の屍を戮し、父の胤城・弟の廷鉞を斬った。朱国楨の未刊の明史稿を質で得た廷鑨が自名で刻し、補った崇禎一朝に李成梁が王杲を斬った語があり、罷官中の帰安知県呉之栄が復職を謀って発き、胤城が版を改めると初版を法司に上し大獄となった。序を作った李令晳も坐死し四子を殺され、十六の末子は一歳減らせば免れたが供述を改めず死んだ。之栄は怨む富人朱佑明へ禍を嫁して五子を殺し、連座死七十余人、婦女は辺境に給され、之栄は起用され佑明の産を与えられた。

康熙六年夏四月、江南の沈天甫・呂中・夏麟奇を殺した。忌諱の多い詩二巻を黄蕁素ら百七十六人の作と偽り財を詐ろうとし、平民を誣い陥れたとして法に伏した。

康熙五十二年春二月、編修戴名世を殺し、学士方孝標の屍を戮した。名世は明史が忌諱に憚り成らぬのを痛み、門人金生への書に弘光・隆武・永暦の十七、八年が書かれず明の一代三百年の史が無いと嘆き、孝標の『滇黔紀聞』を称えた。『南山集』の語を都御史趙申喬が上聞し、名世は一族棄市、孝標は屍を戮され、連座して遣された者三百余人。申喬も二年経たず子の鳳詔が贓で法に伏した。

雍正三年冬十二月、『西征随筆』に聖祖を譏り年羹堯のため「功臣為すべからず」の論を作った汪景祺を殺した。四年、年羹堯の功徳を頌した銭名世の職銜を革め原籍に戻し、「名教罪人」の扁額を居宅に掲げさせ、朝士に刺る詩を賦させた。冬十月、文字の罪に浙江人が多いとし王国楝を浙江観風整俗使とし、郷試・会試を停めた。五年春、『河清頌』の「旧染維新、風移俗易」で鄒汝魯を荊州の隄工に発し、夏五月、試題「維民所止」を「雍正」の首を斬る意と訐かれた礼部侍郎査嗣庭の屍を戮し、兄の慎行ら八人を流した。七年、程朱を毀る『大学』注の謝済世を軍の苦役に充て、『通鑑論』十七篇の陸生杋を殺した。八年、「清風不識字、何得乱翻書」の句で庶吉士徐駿を殺した。

十年冬十二月、呂留良と子葆中の屍を戮し、次子毅中らを斬った。留良は石門の人、晩村先生と称され薦挙に就かず僧となった。湖南永興の曾静は留良の書の夷夏の防・井田・封建の篇に種族の境を知り、張熙を毅中に遣って遺書を得、厳鴻達・沈在寛らと光復を志し、岳飛の裔の川陝総督岳鍾祺に、帝が父を弑し弟を屠り功臣を戮した罪を歴数し挙事を勧めた。鍾祺の奏聞で庭訊となり、帝は留良らの罪が静らの上にあるとし静・熙を赦し、毅中・在寛を斬り、留良を祀った朱振基らも坐死し、奴とされた者二十三家。

十三年冬十二月、曾静・張熙を殺した。世宗は静らを釈し朕の子孫といえども追い戮すなと詔したが、高宗は嗣立するとこれを殺し、『大義覚迷録』の講説を停め原書を返納させた。

乾隆十八年、丁文彬の逆書を究めず放った江蘇巡撫荘有恭を養廉銀十倍で罰し、十九年、詩稿に窮途を嘆いた世臣を根本を忘れたとし黒竜江に戍らせた。二十年、『堅磨生詩鈔』の号と試題を摘まれた内閣学士胡中藻を棄市し、蒙古を「胡児」と称した鄂昌に死を賜い、張泰開を革職し、鄂爾泰を賢良祠から撤し、八旗が漢文を学び漢人と唱和するのを禁じた。二十二年、呉三桂の檄に評を加えた段昌緒らを殺し、禁書を蔵し族譜に御名を闕筆せぬ彭家屏に死を賜った。二十九年、隠語で泰州知州頼宏典を殺し、三十二年、呂留良の書を刻した斉周華を磔にした。三十三年に謝済世・李紱らの書版、三十四年に銭謙益の両集、三十七年に著作の進呈を詔し、三十九年に直省の蔵書と屈大均の詩文を燬させた。四十年、呂留良の孫らを披甲人の奴とし『遍行堂集』等を毀ち、四十二年、『字貫』に御名を列ねた王錫侯を獄に下した。四十三年、墓誌に「皇考」と用いた王爾揚は叛逆でないとして誅を免じ、「一挙去清都」の『一柱楼詩』で徐述夔父子の屍を戮し孫らも坐死し、沈徳潜も「奪朱非正色、異種也称王」の句で棺を剖かれた。父の行述の語で常玉振が獄に下され、逆詩で逮えられた李雍・余騰蛟は事実でなく究めを免れた。四十四年、奏稿に硃批を載せた黄検を降し、智天豹を殺し、四十六年、父の諡と孔廟従祀を請うた尹嘉銓を絞った。

編者はいう、康熙・雍正の間からしばしば文字の獄が興り、当時は人心が一つでなく君主が自ら衛る計も已むを得ぬが、乾隆朝に至ると各案は細事を挙げ、誅は朝廷じゅうに連なり、妖言に附会し詩文を告げ訐く事が入り乱れた、と。御史曹一士は疏して、小人が睚眦の怨みで字句を摘み、有司が風を生じ師弟・親戚に累を及ぼし家を破り命を亡ぼさせるのは憫れむべきだ、井田・封建の談も懐いを述べ史を詠む詩も詞人の習いにすぎぬ、これを妖言に比して赦さねば告訐は止まず士子は文を作るのを戒めとし、義をもって法を正す意に外れる、と論じた。

年表

清朝が書物や詩文の字句を咎めて士人を処罰した文字の獄を、康熙二年(1663年)の荘廷鑨の明史案から乾隆四十六年(1781年)の尹嘉銓の絞殺まで、およそ百二十年にわたって列記する。康熙朝では荘廷鑨・戴名世の獄が一族や序文の作者・収蔵者にまで及び、雍正朝では汪景祺・査嗣庭・呂留良・曾静らが罪を得て、呂留良の獄は屍を戮すまでに至った。乾隆朝に入ると胡中藻・彭家屏・徐述夔・沈徳潜らが摘発され、さらに直省の蔵書を購訪・銷燬させる書物の禁が加わった。編者は御史曹一士の疏を引き、細事を挙げて告訐が横行した当時の文禁の苛酷さと冤獄の多さを批判している。

年表(25件)

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  • 第1.0版(2026-09-27) 初版
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