殘唐五代史演義傳第六回 鄭畋、朱全忠と大いに戦う (鄭畋大戰朱全忠)

要約

畋に罵られた朱温は槍で迎え出、百余合戦っても勝敗つかず両軍は退いた。営に帰った温が明日は僖宗を生け捕って主に献じると言うと、玉蛮英が出て止めた。温は、僖宗は昏君で大斉こそ真命の主だと言ったが、鑾英は、唐は十七世を承け、黄巣は強盗から起こった一匹夫にすぎぬ、邪を改めて唐を扶けるのが長く保つ計だと説いた。温は悟り、旗幟を片づけて降る支度をさせた。

翌日、温は寸鉄も帯びず降旗を執って降ると叫び、帝は盗賊を渋ったが田令孜の言に従った。闕下で温は前部を務めて巣賊を破りたいと奏し、さらに宮を掃った折に玉蛮英を救って営中に置くと申し、帝は愕然として恥じ入った。令孜の言で御妹を妻に配し、汴梁節度使に封じて玉帯を賜り、名も悪いと嫌って全忠の名を与えた。温は全忠が人・王・中・心から成るとひそかに喜び、汴梁へ上った。

西祁州に入った帝は殿に登り中和元年と改元したが、朝賀の後に泣き、高祖・太宗が一統した天下が巣賊に侵され、何の顔あって地下の高祖にまみえようかと嘆いた。畋は天運の循環だと言って街市の童謡を挙げた。庚子の年に日月が枯れ、唐朝の天下は有っても無きがごとし、果木は重ね重ねに実を結び、巣の臼から鴉が飛んで帝都を犯し、逆流する三尺の血が流れ、蜀中で二度鸞輿の駐まるを見る、士馬の要らぬ太平を望むなら陰山の碧眼鶘のほかないという歌である。畋は、広明の明は日と月でその年に天下を失ったのが枯、果に三つの糸を付ければ巣、巣が帝位を奪ったのが犯帝都、明皇と今日の避難が両見駐鸞輿、碧眼鶘は李鴉児だと解いた。逸狂の詩は、天を敬い修省すればなお太平を致せると詠む。

畋は、克用の父国昌が功により李の姓を賜り、克用は騎射に長じ兵馬使となったが、宴席で后の兄弟段文初を銅錘で打ち殺して沙陀に貶され、番兵四十余万と十二太保を擁し、左眼が大きく右眼が小さいので独眼竜と呼ばれ自ら碧眼鶘と号し、黒衣の鉄甲三万三千三百三十人を鴉兵と号すると語り、鴉が巣に入れば巣は破れる、この軍に救ってもらうほかないと言った。吏部尚書の程敬思が使者を志願し、番語に通じ交わりもあるので死罪を赦して官を封じれば慰撫できると言う。帝は克用を忻代石嵐破巣兵馬大元帥・雁門関都招討に封じ、金銀十車、金牌五百面、空名の辞令書五百通、竜衣と玉帯を賜り、健将八員と官軍五百名を添えて発たせ、同時に袁容・王鐸・王重栄・朱全忠ら二十八鎮の諸侯を河中府に集めて克用の到着を待たせた。卓吾子は、李鴉児が飛んで来れば長安は保てまいと評した。

この篇の現代語訳全文について

この書の訳文は、Kindle版・ペーパーバックとして順次刊行しています。当サイトには底本の原文と各篇の要約を置いています。

刊行済みの巻は書籍のトップページに一覧があります。