殘唐五代史演義傳第七回 敬思、勅を奉じて晋王を召す (敬思奉旨宣晉王)

要約

程敬思は金宝と勅書を奉じ官軍五百名を連れて北へ発ち、道中の景と報国の志を詠む詩を吟じつつ野狐嶺に至った。黄巾の将が道をさえぎり金宝を置いていけと喝すると、敬思は直北へ李克用を迎えに行くだけで金宝は献じぬと答えた。男は怒って旗を振り、兵が五百の人馬も金宝も奪って密松林へ引き揚げ、一人残された敬思は首をくくろうとした。

そこへ狩りの一隊が現れ、黒鷲の旗の下に身の丈九尺、方天戟を持つ若い番官がいた。大唐の宣差官程敬思と知ると鞍を降りて助け起こし、自分は沙陀の李晋王の大太保李嗣源だと述べた。敬思は、黄巣が賊兵百万で東西の二京を奪って臣民を殺戮し、聖上は西祁州に避けたので、旨意と金宝十車、金銀牌五百面、空名の辞令書五百通、官軍五百名を齎して父子を中原に迎えに来たが皆奪われたと語った。

嗣源が奪い返すと請け合って密松林に挑むと、色黒の男が手下二百余を連れて拝し、自分は薛鉄山、仲間の謝応達が誤って奪った品を太保に献ずる物と知って運び返し、応達を斬ったと述べ、その首を献じて降参した。嗣源は麾下に収めて兵を合わせ、敬思と金蓮川へ進んだ。

克用は一万の軍で百里を出て迎えた。敬思が勅旨と金宝を献じて救いを請うと、克用は香案を並べて詔を読ませた。詔は、高祖より十七代を伝えたが王仙芝の余党の黄巣が百万の衆で関外一百五十余処を奪い、朕は西蜀へ遷って行宮を成都に置いたとし、皇兄を忻代石嵐破巣兵馬大元帥・雁門都招討に封じ、竜衣と玉帯、金宝十車、金銀牌五百面、空名の辞令書五百通を賜って天下の官軍を指揮させる、早々に兵を興せという中和二年十月上旬のものであった。克用は闕を望んで恩を謝し、沖天冠と兗竜袍に淡黄の衣を掛け、十二太保と五百家将を集めて謝恩させた。逸狂の詩は、生民を救い強暴を誅せと促しつつ、鴉谷の黄巣は容易に平らげられまいと結ぶ。

この篇の現代語訳全文について

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