殘唐五代史演義傳第二十四回 田令孜、権を弄んで爵位を授ける (田令孜弄權封爵)

要約

存孝の旗印を見た朱温は汴梁城へ逃げ帰り、城門を閉ざさせた。存孝は門際まで追って捕らえに来ると言い捨てて戻り、救援の遅れを詫び、朱温が詫びに来ても行くなと申し合わせたのにと述べた。晋王は程敬思が焼け死に、郭景銖が橋の下に沈み、史敬思が絞め殺されて人馬を損じたと嘆いた。存孝は賊を捕らえて三将の仇を報いたいと申し出たが、晋王は急には勝てず、攻めれば口実を与えると止め、太原へ帰って上奏することにした。

朱温は晋王の人馬が并州へ引いたと聞いて安堵し、朱義の勧めで募兵し一万余人を得た。さらに黄巣の旧将尚譲・斉克譲・傅道昭・郭景祥・柳彦璋・柳彦随・葛従周の七人が七万を率いて降った。葛従周は、克用は天下都招討で王位にあり勢いが大きいから、まず王位を得よと説き、朝政を裁く宦官の吏部尚書田令孜に書と珍宝を送って推挙を請えと勧めた。朱温は玉帯二条と宝珠二顆を持たせて尚譲・斉克譲を長安へ発たせた。

令孜は金宝を受けて喜び、加封が下りずとも私かに朱温を梁王に封じて印を鋳て与え、梁王を称して兵を挙げさせ、内応外合して帝位を奪おうと明かした。翌日の奏上で僖宗は、朱温は君を欺く賊だと退け、閑田三百頃と宅三百間だけを与えた。令孜は勅旨を書き換えて朱温を大梁王に封じ、宮室の造営と黄旌白鉞による征伐を許す詔とし、印を鋳て二将に持たせた。

朱温は詔を迎えて謝恩し、梁王の旗号を立てて王府を造らせ、謁見には千歳と呼ばせた。民から重く取り立てたので百姓は苦しんだ。激怒した晋王は李嗣源を長安へ遣って朱温の不軌を表奏させたが、令孜は三度の上表を握り潰した。令孜は翌朝、李克用が謀反したと奏し、朱温を召して当たらせよと勧めた。帝の召しを受けた朱温は尚譲ら七人に精兵三十万を授け、晋王の旗を掲げて汴梁から反出させ、晋王の軍と称して城や県を奪わせ、覇陵川に陣を構えた。僖宗は驚いて策を問うた。

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