殘唐五代史演義傳第二十九回 朱温、計略で五侯を謀反に追い込む (朱溫計逼五侯反)
要約
汴梁へ敗走した朱温に葛従周は、五侯を逼って太原に反かせる計を説いた。昭宗の即位に朝賀も服喪もしていない河中の王重栄、華州の韓鑒、曹州の曹順、兗州の周順、鄆州の赫連鐸に偽の詔と刑具三品を持たせて問罪すれば必ず反くから、金宝で誼を結んで泥脱崗に集め、並州へ向かわせて克用を擒えさせよと。
朱温は尚譲を王重栄へ、斉克譲を各路へ回らせ、十日で五侯は反き、買収すると一月で五路の軍馬が泥脱崗に集まった。宴で朱温が克用への恨みを訴えると、王重栄は先に並州へ向かうと応じた。朱温は赫連鐸と高思継・曹順を留め、鄧天王らに糧草を運ばせ、張凱を先鋒として五侯の兵は並州へ向かった。
晋王は朱温の計だと見た。周徳威が遠来の疲れに乗じて威勢を挫けと進言し、李嗣源は三千、李存孝は百騎で足りると争い、晋王はそのとおり裁定した。嗣源は林墩口で張凱と五十合戦って決せず、晋王は兵を収めさせた。
存孝は、今夜十八騎で五侯の陣を夜襲し、一騎でも損じたら功と数えぬと申し出、軍令状を立てると言い切って精鋭十八騎を割かれ、渋る十八人を叱咤した。三鼓に王重栄の陣へ斬り込むと車仗が連なって進めず、十八騎は左右に衝いて行き会う者を斬り、存孝は南へ斬り抜けて林墩口へ帰り、五路の兵は追わなかった。一騎も欠けず、晋王は絹十八匹と刀十八口を賜り、存孝はそれを十八人に分けた。
赫連鐸は梁王の計にはまったと嘆いたが、張凱は先鋒の務めだと言って翌日挑んだ。存孝は薛阿檀と安休休を従えて迎え、安休休が赫連鐸と八十余合戦ううち背後からの矢に乗馬を射られて投げ出され、刺そうとした張凱は面門に矢を受けて落馬した。張凱は救い戻され、赫連鐸は退いた。矢で救ったのは薛阿檀だと存孝は教えた。
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