殘唐五代史演義傳第三十六回 晋王、兵を起こして朱温を討つ (晉王起兵伐朱溫)

要約

朱温は即位して太祖皇帝と号し、天復四年を開平元年と改めて大赦し国号を大梁とした。昭宗を済陰王に封じ、張文蔚と楊渉を平章事、蘇循と薛貽矩を左右僕射、王彦章を馬歩禁軍都元帥、王彦竜を保駕上将軍とし、尚譲・斉克譲らも節度使に封じた。功に官を進めよと訴えた李英は、天下を金で売った逆賊と罵られて斬られた。済陰王は開平二年春正月に王彦竜に縊り殺され、唐の哀皇帝と追諡された。

李晋王は昭宗の弑逆を知って一日中泣き、百官に喪服を着けさせて哭した。翌日、千余騎で潞州王李杰が到り、四十余万を擁してなぜ動かぬと責めて仇討ちを助けると述べ、晋王は存孝を失って力となる者がなかったと答え檄を飛ばした。四十余万が並州を発って雞宝山に陣し、宗親と関外二十七鎮の諸侯が加わり人馬九十四万、名将八百四十員、営は三百余里に連なった。李杰が心を一つにせよと説き、二太保の李思昭が先鋒を願った。

檄文は、朱全忠はもと塩の密売の徒党で先帝の恩に背き御駕を奪って帝位を盗んだ、君を弑した賊は誅すべきで、降る者は許し助ける者は斬ると宣した。急報に驚いた梁帝は彦章を天下兵馬正征討に加え、馬歩軍十万を与えて世子の朱友珪とともに出発させた。麗泉は、虎を打った将軍の死後に彦章が世に出たと詠む。

晋王は彦章の精兵十万に駭然とし、歩将の鄭績は三合とせず刺し殺され、李思昭は一合で落馬し、李存直も一鞭で頭を砕かれ唐兵は大半を斬られた。翌朝は弟の彦竜が挑み、太保の存竜・存虎・存海・存豹・存江・存愛の六将が出たが数合で皆刺し殺された。続く彦章に同台節度使の岳彦真が五合とせず刺し落とされ、子の存訓も一鞭で討たれ、青州王李畢ら四王が挑んでようやく彦章は退き、諸侯は三十里退いた。

また挑まれた劉知遠は五十余合渡り合ったが一鞭で血を吐いて逃げ帰り、李杰は鋭気が挫けたと嘆いた。鄆州の赫連鐸は三合とせず斬られ、河南王李善の上将楽栄も斬られて諸王は顔色を失った。晋王は、存孝が生きていれば彦章に威を振るわせるものか、当たれる者が一人もいないのかと嘆いて痛哭した。

この篇の現代語訳全文について

この書の訳文は、Kindle版・ペーパーバックとして順次刊行しています。当サイトには底本の原文と各篇の要約を置いています。

刊行済みの巻は書籍のトップページに一覧があります。