殘唐五代史演義傳第四十八回 契丹、兵を遣わして敬瑭を助ける (契丹遣兵助敬瑭)

要約

陣中で病を養う史建唐は敬瑭の軍が名将を討ったと聞いて馬に乗ったが、契丹主伽離陀の番兵が押し寄せた。建唐は交戦せず逃げたが伽離陀の一矢が首に当たり、黒沙場で死んだ。石敬瑭は契丹の兵を得て大勝し唐兵は総崩れとなった。契丹主は虎北口へ引き上げ、敬瑭は降兵二千余人を得たが劉知遠はことごとく殺すよう勧めた。その晩、敬瑭が契丹主に助勢を謝すと、契丹主はともに大事を成そうと応じた。

翌日、敬瑭は洛陽城下を水も漏らさぬほど囲み、出て戦う将もなかった。馮道は、和を求めて金帛を賜い高位厚爵を与えるほかないと説いた。帝は吏部尚書李安祥に勅書と金銀各十車、彩緞十車を持たせ、河東一帯の官爵を授けて講和すると伝えたが、敬瑭は張后を出して罪を正せば和を許す、さもなくば寸草も残さぬと答えた。

次いで張后の身内、国舅張竜が敬瑭を生け捕りにすると奏し、帝は擒にできたなら河東を鎮守せよと言い、御林軍十万と李竣・常継忠の二将を授けた。張竜は三合で逃げたが敬瑭に背を突かれて死に、李竣は劉知遠の一刀で斬られ、常継忠は生け捕られて斬首され首は轅門に掲げられ、唐軍は大半が斬り殺された。

馮道は病と称して起きず、官を加え禄を倍にすると言っても文武は黙っていた。帝が泣いて後宮へ帰ると張后は、長安の城郭は堅固ゆえ公主を産んで三日と称し七日過ぎに身を渡すと告げ、各郡へ急を告げて兵が集まれば内外呼応して石郎を擒にできると説いた。翌日、帝は東門の敵楼から敬瑭を呼び、敬瑭は張后を出して国法を正せば退兵すると奏した。帝が七日まで四十里退けと言うと敬瑭は営を移し、帝は石郎が計に掛かったと喜び告急の勅十数通を各郡へ届けさせた。卓吾子は、廃帝が讒言に耳を貸して臣下に和を乞う禍を招いたのは憐れむべきで、張后の計も国破れ身亡ぶるを免れまいと評した。

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