清史紀事本末アヘン戦争と和約(鴉片之戦争及和約)

要約

道光十八年十一月、林則徐を欽差大臣として広東の阿片禁止に当たらせた。阿片はもと薬材で唐以来輸入され、万暦十七年に税則に入り、雍正の禁ののち乾隆はまた課税した。乾隆末に東インド会社が商権を独占して輸入は増え、嘉慶の厳禁も収賄で有名無実となり、道光十六、七年に輸入は五倍となった。この年、黄爵滋が漏卮を塞げと奏し、督撫の議のうち林則徐の言が切実なので派した。

十九年正月末、則徐は三日内の献納を命じたが応じぬので、二月初め貿易を停め沙文を捕らえ、義律は躉船の一千三十七箱を出した。一箱百二十斤、六百万元余りを海口で焼いた。ついで諸国に阿片を私載すれば船貨没収・処刑と連保させたが、義律のみ承知せず、澳門を逐われ糧を絶たれると軍艦で示威し、処刑の一語の削除を請うて拒まれ、英艦の来襲も頼恩が撃退した。則徐は剿撫と海防を請い、閉関論に諸国が我を謀ると反対した。十一月、対英貿易の停止を詔した。

二十年、則徐は虎門に砲座を増し鉄鎖を設けた。二月、英の伯麥が四十余隻でインドを発し、五月に澳門に迫ったが隙がなく兵を分け、廈門を騒がせ六月に定海を陥し、七月に天津で講和の書を投じた。六条は、貨価と軍費の賠償、五港の開港、対等の礼、在留商人への連坐免除、洋商の余費廃止である。九月、琦善を欽差大臣として広東に遣わし、則徐を革職した。

二十一年正月、英艦が沙角・大角の砲台を陥し陳連陞が戦死した。琦善が則徐の施策を覆して要害の兵を撤し、関天培の増兵の請いも拒んだためである。琦善は広州開放と香港割譲を許す仮条約を結んだが、帝は許さず宣戦し奕山を靖逆将軍とし、琦善を逮えて祁𡎴を代えた。二月、英艦は横当・虎門を陥して関天培も戦死し、米仏商人の調停も拒んだ。閏三月、英軍は四方砲台を破って広州に迫り、奕山は余保純に講和させた。休戦の四条は、軍費六百万元の五日内交付、兵の六十里退去、香港は後議、英軍の虎門撤退である。賠償を粤海関と行商に負わせたので民は憤り、三元里の一万余が「平英団」の旗で義律を囲み余保純が解いた。奕山は英人が恭順を乞うと飾り奏して咎められず、則徐は追論されて伊犁に流された。論者は英人に詫びるためかと疑ったが、則徐は平然としていた。

英は兵を北に移し、伯麥が颶風で艦を損じたのを祁𡎴は神助と誇大に奏したが、璞鼎査らが三十余隻で七月に廈門を陥し、顔伯燾は英軍が去ると回復を奏した。八月、定海が陥ちて王錫朋・鄭国鴻・葛雲飛が戦死し、鎮海も陥ちて裕謙が自殺し、余歩雲は寧波を棄てて走ったので、九月、奕経を揚威将軍として浙江に赴かせた。

二十二年、奕経は寧波に敗れ、劉韻珂は和議を主張した。四月に乍浦、五月に宝山が陥ちて陳化成が戦死し、上海から長江を遡り六月に鎮江を陥して海齢は縊れ死に、七月に江寧に迫った。耆英・伊里布と牛鑑を全権に十三条の南京条約を結んだ。要項は、和平、二千百万元の賠償を一八四五年末までに交付、五港の開放と居住、香港の割譲、俘虜の釈放、英に働いた者の免罪、文書の対等、交付後の撤兵と舟山などの占領継続である。

二十三年三月、台湾鎮総兵の達洪阿らを獄に下した。難破した英船の白人二十四名・黒人百六十五名を義勇が捕らえ達洪阿と姚瑩は賞せられたが、俘虜交換のとき黒人を銃殺したため璞鼎査が虐殺と捏造だと訴え、二人は免職となった。五月、耆英らは香港で条約を交換した。戦後も欧米の約使が続き、政府は阿片の禁を弛め洋薬の名で課税し、吸煙の悪習は黙認された。

年表

阿片の流入禁絶から南京条約の締結・批准交換までを、道光十八年(1838年)から道光二十三年(1843年)までの六年間で述べる。黄爵滋の建議を受けて欽差大臣となった林則徐が広東で阿片を没収焼却し、義律との交渉決裂によりイギリスとの貿易を停止した。ブレマー率いる艦隊は定海を陥れて天津に講和書を投じ、琦善・奕山の交渉と敗戦が重なり、林則徐は罷免されたのち伊犂へ流された。ポッティンジャーの軍が廈門・定海・鎮海・寧波から乍浦・上海・鎮江を陥れて江寧に迫り、耆英・伊里布らが南京条約十三条を結んで五港開放・香港割譲・二千百万元の賠償を約した。翌年台湾の捕虜殺害事件で達洪阿らが獄に下され、香港での条約交換の後、清朝は洋薬の名で阿片に関税を課すに至った。

年表(6件)
  • 宣宗
  • 道光十八年(1838年)黄爵滋の建議を容れ、林則徐に欽差大臣を授けて広東の阿片禁絶に当たらせる
  • 道光十九年(1839年)林則徐が阿片一千三十七箱を海港で焼却し、義律の抗拒を受けて対英貿易停止を命ずる
  • 道光二十年(1840年)イギリス艦隊が定海を陥れ天津で六条の講和書を投じ、林則徐を罷免して琦善を代える
  • 道光二十一年(1841年)沙角・虎門が陥ち関天培が戦死、奕山は広州で休戦条約を結び、廈門・定海・鎮海・寧波も失われる
  • 道光二十二年(1842年)乍浦から鎮江まで陥落して江寧に迫られ、耆英らが南京条約十三条を締結する
  • 道光二十三年(1843年)台湾の捕虜殺害で達洪阿らを獄に下し、耆英が香港で条約を交換して阿片は洋薬として課税される

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  • 第1.0版(2026-09-27) 初版
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